Aug 23, 2015

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f o u r  h o u s e s
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三つ目の家


臙脂色の扉。
そう思っていたけれど。

知らなかった色を教えてくれた。
色が広がったら扉の印象も広がった。 毎日触れた色。

どうにかしないとどうにもならない姿であったけれど、
そこにはきちんとした意思と気配がありました。

背丈以上ある草を刈り、木や花を手入れし、
外壁を塗り、壁紙を剥がし色をのせ、木を切り出し床を張り色をいれ、
それぞれの部屋に似合うような扉をつくり、
入口の横に植物のための温室と、寝室の横に天窓のある外の部屋をつくった。
裏庭へ続く細い道に古い小振りのレンガを側面を踏むようにして敷いた。

冬は寒く夏は暑い家。
季節への緊張が少しとかれる春に、この家の台所の窓から見える山桜が
私は本当に好きでした。

自由に伸びる山桜は切られる事もないし大木。
葉と花が同時に咲く山桜。
その姿が好きでした。
その窓を開けておけば家の中に花びらが散る。

それぞれの部屋の扉が集まる廊下で、早朝に映る影は雨が窓を伝うようでひとりよく眺めた。
私の部屋の扉は上半分が歪んだ古い硝子でした。
暗い廊下に陽の光をいれるためです。
廊下には絵が二枚飾られていた。

風速計を置いた。風がよく入り、カーテンはいつも弾んでいて、葉がよく床に落ちていた。
夜はピアノの音が聴こえてきます。


重要なのは、
ゆるやかさと、必要な分だけ静かに紡いでいくような景色だけが
そこに在るという事ではないという事。
優しいより、持ち上げられないような事の方がずっと多い。

水際のような。
止まった雲と流れる雲が同時に空に在るような、
動かす風もその中には意思なく存在していて、色づいたり色褪せたり、
包み込まれる感触が強いのは、そうでないものが漂い其処に在るから。
だから美しいと。
そんな風に感じた家でした。

でも最近は、
それよりももっと、柔らかく自由で、
同じ色なのにもっと、細かくて、さらさらしていて、淡く透明に近いような、
そういうものが在る事を感じてしかたなくて。
見えそうで見えそうで、でもまだ微かにしか見えないでいます。

それは、家が聴いているようなもの。


桂、 椰子、 小手毬、 ブルーベリー、 紫木蓮、 白詰草、 オリーブ、 紫陽花、   
アーティチョーク、 ミント、 薔薇、 .....