Sep 14, 2015

te



f o u r  h o u s e s
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四つ目の家


最後の家です。
私はこの家に暮らしてはいないのだけれど、
宵の実の始まりはこの家です。

庭から、扉を二枚開くと目の前に広がる部屋で宵の実を始めました。
春が夏を迎える頃です。

庭には大きな木があって、それはとても特別に見えた。
鳥がよくやってきていたし、藍色が錆びたような色の実が生る木。
「宵の実」という言葉を考えていた時、頭のどこかにこの木もいたように思う。

沢山の人に訪ねてもらった家。
感じてもらえた時に、はじめて料理をつくれた事となるように感じた家。


場所が生まれれば、何かが自然に育つのだと思う。
差し出したいものはつくれるものではなくて、
差し出したいものが溢れでてくるような場所をつくること。
差し出したいものが溢れてくるような、そんな自分になってしまうこと。
ただそれだけの事なのかもしれないです。

だから色々な方から今、ありがとうとさようならを伝えてもらえているこの家は、
何て素晴らしい事かと思う。
この家を思い返す時、そういった方達の風景は幾つも浮かんでくるのです。

何かがなくなった匂いや景色をみて寂しかったり懐かしく感じるのは、
何かがそこに在った感触を知っているから。
今、あそこへ立ったなら、何が見えるだろう。


この家は、そこへ行きはしなくても、ただ在ることの美しさと、
安心感を感じていたかもしれないです。

この家へ通って下さった方々へ、
.....この家をつくってくれた人へ、
心から、   ありがとうございました。


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ひとつの家、ひとつの空間の中で、
巡る姿、纏いまつわるもの、流れるもの、在るものと在ることに交ざっていくものの
優しさとそのものへの愛おしさと。
それを感じること、そうしたら何か世界が広がったような。
その気持ちで見る今までの日常のなんて新しいこと。
溢れているものをみれる事。
豊かさのこと。愛のこと。
それは全部繋がっていたこと。

カフェでも食堂でもなく、
今の宵の実を「宵の実としたのはそんな可能性をもっと深く知りたかったから。
そこに、食事があってもいいし、何か物体でないものでもいい。
これがやりたい事の一つ目です。

時間がかかりそうだけど、どこかへ戻る感じはなくて、だから少しづつ進みます。
事の在り方が少しでも変わっていくといいなという想いと。

ここへ綴っていく事が宵の実の記憶のようなものになったら楽しそうだな...
瞬きしないと読めない程の、長い話になったらいいな。